も、もう「谷間」じゃないのね〜〜、と一気に目がさめまして『ミー&マイガール』について、またヨロヨロとネットの海をさまよい始めました。いつものことながら、何も知らないイカダの旅的なスタートです〜。
さて、『ミー&マイガール』のウェストエンド版初演は1937年12月にさかのぼります。ヴィクター・パレス・シアターで開幕するなり大好評で、BBCラジオで音声が放送されたり、1939年5月1日には当時まだ珍しかったテレビ放映までされたそうです。のべ1646公演、1940年には『ザ・ランベス・ウォーク』として映画化と景気の良い限りですが、空前の大ヒット作も戦争の大波と無関係ではいられなかったと思います。
この楽しいミュージカルが初めて上演された1937年には、すでに世界のあちこちで一般市民が犠牲となる悲惨な戦いが繰り広げられていました。ピカソの『ゲルニカ』(1938)が訴える、ドイツ空軍によるゲルニカ爆撃も1937年です。また南京事件もこの年で、暴力による支配・征服が世界中を侵していった時期ということかもしれません。イギリスでは5月にジョージ6世とエリザベス王妃の戴冠式がとりおこなわれ、英国王室の伝統は守られていましたが、ウインザー公爵夫妻がベルリンでヒットラーと会い、この独裁者を権威として認めた形になってしまったようです。
そしてこの作品がリバイバル作品として、大衆の微笑みの前に再生したのは1952年。初演以来、世界中で起きた目を覆うような出来事をこの作品は知っている、そんな気がしてしまいます。街に生きる普通の人々のパワーをランベス・ウォークで歌い上げ、踊りあげることが、理不尽な独裁者の暴力によって亡くなった人々への花向けだったかもしれません。