2009年03月の記事 | platea/プラテア

platea/プラテア

青山航士さんと出演作について。『The Musical AIDA〜アイーダ〜』/ ゲキXシネ『五右衛門ロック』出演
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | -| - |
ヨーロッパは踊る〜ランベス・ウォーク〜/ミー&マイガール
さて今日は『ミー&マイガール』の作曲家ノエル・ゲイのことを見てみました。この人はいろいろな情報が残されていて安心〜。
 1898年イギリスのヨークシャー州生まれ、1954年に亡くなっていますが、息子さんがNoel Gay Artistsという芸能事務所を開いていて、今も作品の著作権管理をしているようです。本名はReginald Moxon Armitage、ロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックとケンブリッジで学んだ彼は、在学中からミュージカルに興味を覚え、ポピュラーソングも書くようになりました。が、ロンドンの聖アン教会の音楽監督とオルガン奏者でもあった彼は、教会関係者に迷惑がかからないように、ペンネームNoel Gayを使って作品を発表したそうです。アンドリュー・ロイド・ウェバー卿と彼だけがウエストエンドで4作品同時上演の記録を持っているとのこと、20世紀イギリスのポピュラー音楽を代表する存在ですね。
 また、『ミー&マイガール』のショーストッパー「ランベス・ウォーク」は、タイムズ紙の見出し記事の題材となった唯一のポピュラーソングでもあるそうです。1938年10月の記事で、「独裁者が叫び、政治家が閣議をしているあいだに、ヨーロッパ中が踊っている−ランベスウォークに合わせて」と書かれ、当時の熱狂ぶりが伝わりますね。
 平和が一日一日侵されていくような時代、ノエル・ゲイはミュージカル・コメディやレビューのために曲を書き続けました。1939年9月、ドイツとの開戦宣言の二日前にBBCテレビは放映を休止、11月には彼が曲を提供していたBand Waggonというラジオ番組も終了します。これは明日を夢見る芸人コンビがお化け屋敷に潜り込んで・・・という設定でしたが、その亡霊たちはナチスを暗示し、彼らの地下室のテレビはベルリンにつながっている・・・という具合だったそうです。今もブロードウェイを沸かせている、BBC製作番組を原作とした『モンティパイソン』に通じるブラックジョークを感じますね〜。そして何より、歴史の荒波の中でも人を楽しませ、自分たちのやり方で批判もする、表現者のたくましさを感じます。そんな時代が生んだ「ランベス・ウォーク」、別格のショーストッパーといえそうです。
23:42 | ミー&マイガール | comments(0) | trackbacks(0)| - |
playing the piano 2009/ryuichi sakamoto
 今日はミュージカルでもダンスでもなく、昨夜の「世界のサカモト」のピアノコンサートの話題です。「は?」という方も多いかと思いますが、どうぞお許しのほど。「世界の」というのも、元をただせば「=オスカー作曲家(とは言わないのかな)」、もと映画オタクは作者本人のみによる"The Sheltering Sky"(1990)がどうしても聞きたかったのです。
 ステージはいたってシンプルで、スクリーンと二台のグランドピアノだけ。といっても通常のデュオではなく、奥の一台はあらかじめデータ化された演奏をコンピューター制御で奏でているので、実際にはまったくのソロコンサートです。
 一片の無駄もない、音楽と音楽を奏でる者の間には何も存在しない、タイトで純粋な舞台が心地よく、終始落とし気味の照明とモノトーンを基調とした映像に包まれるようにして愉しみました。昨夜はブリーゼという最新のホールだったのですが、まるで深い自然のなかで聴いたようで、もしも「形」や「光」や「色」を見たことがないとしても、この音楽を聴いたら感じるのではないかと思えるほど、音の一つ一つが脳内で視覚的に拡がる感覚があります。全国を縦断するこのコンサートはi Tunes Storeでなんと各公演終了後最短24時間で配信されるとのこと。公演ごとに演目も違っていて、聴く側の楽しみ方の多様化にもバッチリ対応してますし、なにより「表現」への思いの強さを感じます。
 念願の"The Sheltering Sky"も聴けて、大阪の雑多な街から帰ってきたのに、夜の森をぬけてきたような気分です。そして、ミュージカルってまるで福袋みたいに色々いっぱい詰まっているのが楽しさなんですが、その一方でこんなソリッドな「一点もの」の魅力に触れると、久し振りで青山航士さんが思いっきり表現しているところが見たいなあ、としみじみ思いました。
 ・・・読んでくださった方、訳のわからない文ですみません。でも、本当に素晴らしい曲がいっぱいなので、心の森林浴としてi Tunes Storeに立ち寄られてはいかがでしょうかバー
01:41 | へーまより | comments(0) | trackbacks(0)| - |
Me & My Girlの謎/ミー&マイガール
 WBC勝ちましたね〜。イチロー選手を見るのって私的には青山航士さんのダンスを見るのと共通する感覚があります野球。理想の運動曲線が見えるというか、強いって美しいですよね。
 なんでこんな話題からかというと、正直言って『ミー&マイガール』を訪ねていきなり行き詰ってしまったからなんです〜。脚本と歌詞、当たり前のように"L. Arthur Rose & Douglas Furber"とクレジットにあるんですが、このL.Arthur Rose氏、ネットめぐりをしても生まれた年はおろか生まれた場所も国籍もなにもでてきませんあせあせ。ブロードウェイのデータベースでもトニー賞ノミネート以外、そうした個人的な情報はなく、わずかに映画関係のデータに以下のような記録がありました。
鉛筆2脚本 
 Lorden från gränden (1967) (TV) (脚本)
 Jij en ikke (1965) (TV) (脚本)
 Greven från gränden (1949) ( "Me and My Girl")
 ... aka The Lord from the Lane (International: English title)
 Me and My Girl (1939) (TV) (脚本)
 Rake's Progress (1939) (TV) (脚本)
 Trust the Navy (1935) (原作)
CDサウンドトラック:
 Accompagnatrice, L' (1992) (脚本:... aka The Accompanist (USA)
 "Lo Kolel Sherut" (1 episode, 1991)
- Episode #2.4 (1991) TV episode (歌詞: "Bo El Ha-Mesiba")
 ・・・ネット上で見た時は戦後の作品がドイツ名になってる???と思ってコピぺしてアップしたらどうも違う・・・たぶんスウェーデン語だと思うのですがあせあせコレはお使いのパソコンによって表記が乱れていると思います、ごめんなさい。"Lorden från gränden "が"Me & My Girl"のことだというのはわかったんですが・・・それにしても謎です。どなたかご存知の方いらしたら教えてください聞き耳を立てる
00:20 | ミー&マイガール | comments(0) | trackbacks(0)| - |
50年めのドラマ・デスク賞/ミー&マイガール
 さて、チケットの一般発売も始って、「いよいよ」感のある『ミー&マイガール』。作詞&脚本を担当したうちの一人、ダグラス・ファーバーは1885年、19世紀生まれの人ですね、『ルドルフ』のマイヤーリンク事件は1889年ですから、当時4才とはいえ悲劇のプリンスと同時代を生きていたと思うと、なんか歴史を感じます。デビューは1914年、オーストラリア人の作曲家A.エメット・スミスと組んだ「聖マリーの鐘」で、アメリカで大ヒットしたそうです。この曲は「ホワイト・クリスマス」で有名なビング・クロスビーが45年に持ち歌にし、同名の映画も作られています。
 また、1920年代にも彼の手がけたレビューとコメディが2作品ずつ、ブロードウェイで上演されていますので、『ミー&マイガール』は、アメリカで若いうちに成功をつかんだ彼が本国に錦を飾ったという感じなのでしょうか。
 戦後の活動としては、『ミー&マイガール』が全編テレビ放映された初のミュージカル作品ということもあってか、テレビ作品が数点記録されているようですが、ミュージカル関連の記録が見つからないので、ご存知の方いらしたら教えてください〜。
 そして1987年には初演から実に50年を経てトニー賞の最優秀ミュージカル脚本、最優秀オリジナルスコアの2部門にノミネートされ、ドラマデスク賞の最優秀脚本賞を受賞しますが、ご本人は61年に他界されていました。二つの大戦という大惨事を目撃しながら、時代が大きく変わっても人々の心をときめかせる作品を書くのは、相当の精神力と意思を必要とするような気がします。当時生きておられたら102才、死後四半世紀たっても祝福される作品を残すって、ものを作る人のひとつの理想かもしれませんね。
00:01 | ミー&マイガール | comments(0) | trackbacks(0)| - |
ゲルニカとランベス・ウォーク/ミー&マイガール
 も、もう「谷間」じゃないのね〜〜、と一気に目がさめまして『ミー&マイガール』について、またヨロヨロとネットの海をさまよい始めました。いつものことながら、何も知らないイカダの旅的なスタートです〜。
 さて、『ミー&マイガール』のウェストエンド版初演は1937年12月にさかのぼります。ヴィクター・パレス・シアターで開幕するなり大好評で、BBCラジオで音声が放送されたり、1939年5月1日には当時まだ珍しかったテレビ放映までされたそうです。のべ1646公演、1940年には『ザ・ランベス・ウォーク』として映画化と景気の良い限りですが、空前の大ヒット作も戦争の大波と無関係ではいられなかったと思います。
 この楽しいミュージカルが初めて上演された1937年には、すでに世界のあちこちで一般市民が犠牲となる悲惨な戦いが繰り広げられていました。ピカソの『ゲルニカ』(1938)が訴える、ドイツ空軍によるゲルニカ爆撃も1937年です。また南京事件もこの年で、暴力による支配・征服が世界中を侵していった時期ということかもしれません。イギリスでは5月にジョージ6世とエリザベス王妃の戴冠式がとりおこなわれ、英国王室の伝統は守られていましたが、ウインザー公爵夫妻がベルリンでヒットラーと会い、この独裁者を権威として認めた形になってしまったようです。
 そしてこの作品がリバイバル作品として、大衆の微笑みの前に再生したのは1952年。初演以来、世界中で起きた目を覆うような出来事をこの作品は知っている、そんな気がしてしまいます。街に生きる普通の人々のパワーをランベス・ウォークで歌い上げ、踊りあげることが、理不尽な独裁者の暴力によって亡くなった人々への花向けだったかもしれません。
23:48 | ミー&マイガール | comments(0) | trackbacks(0)| - |
『ミー&マイガール』公式サイトで
 すっ・・・すみません、「谷間」なんて書いたとたん、『ミー&マイガール』公式サイトが更新されていたことに気が付きました〜。先日の製作発表と、なんと06年版のダイジェスト動画が。また今回も東宝さんに手玉に取られるような気がしてきましたが、とにかく嬉しいです。う〜〜〜む、これから先、あの「お客様感謝イベント」やら「ワンモアチケット」やら「お土産お弁当付き優待チケット」やら「得チケ」も企画されたりするんでしょうか?  東宝公式サイトに底なし沼が見えるような気が・・・豚
00:26 | ミー&マイガール | comments(0) | trackbacks(0)| - |
谷間のダンスオタク
 久しぶりの青山航士さんの出演作の谷間、よせばいいのに「ちょっとアーリー『おどろんぱ』でも・・・」とVHSを引っ張り出したが最後、ひとりマラソン上映会になってしまいましたテレビ。でもやっぱり青山さんって持ってる踊り手としての資質がケタ外れにいいですね〜。もちろん努力もとてもしておられるのだとは思うけれど、音楽性・表現力の豊かさにパルスの正確さ、股関節や肩甲骨の使い方から、筋肉がついても硬くならない体質まで、トリプルAか三ツ星か、みたいなものだと思います。
 最近の舞台で青山さんのダンスを知ったという方は、「子供番組」と敬遠なさらずにどうぞ一度『うたっておどろんぱ』のDVDをご覧になってください。『スーザンを探して 〜狂熱のライブ〜』(?)で披露された、踊るドラマー・マークの特大スプリットジャンプも収録されています(04年の『みんなもいっしょにうたってちょうだいおどってちょうだい』収録の「ジャンプしてキャッチ」)。これは動きがとても奇麗に撮影されていて、めちゃめちゃに高い跳躍のピークで開脚した時の、下肢のしなり具合なんかもパッチリと写されています。やっぱり天下の教育だなあ。ちなみに今サイドバーで使っているイラストの「鶴」も、『おどろんぱ』の「どうぶつケチャ!」(05年『あしたにむかってダンス!』収録)の1シーンです。どんどんオタク話になるけど、歌詞カードに使われている小さい写真にも、まるで劇画のように見事な飛び蹴りや、つま先が十分に引き寄せられた嘘のように安定したY字バランスなど、「一瞬の舞台」にはない楽しさがいっぱいですよ〜。
 さて、その教育テレビ50周年記念の再放送リクエスト、協力してくれた旧友の話では『うたっておどろんぱ』は、あらかじめ絞り込まれた200番組中43位、と、とっても中途半端な順位だったそうな。これで「40位までは再放送」なんて発表された日には悔やんでも悔やみきれません。どうぞ皆さんの愛の手でまずはトップ40によつばのクローバー
00:05 | - | comments(0) | trackbacks(0)| - |
1930年のロンドンって?/ミー&マイガール
 『スーザンを探して』はニューヨークの物語ですが、ミュージカル初演の地は、ロンドンのウェストエンドでした。1920年代、新しい音楽であるジャズの響くクラブやレストラン、新しいステップに熱狂するダンスホールがあいついで開店したのが現在の「ウェストエンド」につながっているのだそうです。そしてこの地区がエンターテインメントの街として定着したのが、『ミー&マイガール』の時代、1930年代ということになるでしょうか。
 青山航士さんの出演作で言うと『グランドホテル』(06)がナチズムの台頭する1929年のベルリンを舞台としていますので、時代としてはとても近いのですが、当時のロンドンは経済的に活発で、雰囲気はかなり違ったかもしれません。ガス灯や馬車に代わって電燈がともされ自動車が走り、より衛生的でモダンで効率的な都市へ変身中、という時代だったようです。ロンドンといえば、の真っ赤な二階建バスも1931年に初お目見えし、37年には「90秒ごとに電車一台」という交通局のポスターが作られていて、人のいきかう、賑やかな街だったことがうかがえます。なんといってもシティ周辺を含むいわゆる「大ロンドン」と呼ばれる地区の当時の人口が811万人(近年は約730万人)というから驚きです〜。
 電話交換の自動化もこの頃で、いろいろな意味で「伝統」が薄れ、「現代的」に変わっていった時期のようですね。その次の十年になるとミュージカル『TOMMY』が物語をスタートさせる1941年、第二次世界大戦という、歴史の渦から誰も逃れることができない時代になってしまいます。実際、30年代にすでに在ドイツユダヤ人は、迫害をのがれてロンドンへの移住を始めていました。今から眺めると、戦争の間のひとときの活況にわくロンドンは、昂揚感と危機感の入り混じった街だったのかな、と思えます。青山さんのダンスはどうなるんでしょ〜。今とりあえずのイメージとしては、戦火で失われたウェストエンドの名ダンサーのフィルムがよみがえる、みたいな感じムード。すでに盛り上がってるな、自分。
23:54 | ミー&マイガール | comments(0) | trackbacks(0)| - |
青山航士さんの新プロフィール写真が
 もうご覧になった方も多いと思いますが、気がつけば所属事務所のエフ・スピリットさま公式サイトで青山航士さんの新しいプロフィール写真がアップされました。前回、絶句もののカッコよさで金縛りにあったファンも多かったけれど、今度のも笑顔がとぉぉぉっても素敵です〜。それと全身ものがとにかくお洒落。欲を言えばこれで少しでいいから踊ってる所なんかも見たいなぁ。出演作の谷間ならではの100%オタク話、失礼いたしました〜豚。でも11日には『ミー&マイガール』の製作発表があったそうですね。まだまだ先、と思っていても着々と準備が進んでいるのって嬉しい猫2
22:50 | - | comments(0) | trackbacks(0)| - |
Rapture 2/スーザンを探して
rapture 2

 青山航士さんのダンスといえば、とにかく「カッコいい」。もうどうしてそんなにカッコいいの、と詰め寄りたくなるくらいなんですが、それだけ(でも凄いんだけど)じゃないところが青山さんの青山さんたる所以です。
 たとえばこの"Rapture"のジャンプ(28日夜の部)、そのままずっと飛んで行ってしまうような、陳腐な言い方ですが一瞬翼が見えるような感じでした。ポップでエンターテインメント性にあふれた作品にふっともう一つ別の時空が見える感覚が広がって、一幕の最後を飾るナンバーが妖しく華やかに彩られたと思います。Show店街組曲の"Introduction"もそうでしたが、劇場という非日常空間の醍醐味を味わわせてくれる表現者ですよねパンチ
20:07 | スーザンを探して | comments(0) | trackbacks(0)| - |