解散宣言が波紋を呼んでいるマミーズのライブ映像がまたまた公式ブログにアップされました
。ニホンのゲーノーカイ的には解散したなら次は当然再結成、それに最近は往年の英米ロックバンドも還暦記念行事のようにして続々と再結成〜来日を果たしています。東宝さんにもぜひご一考頂きたいものです。もしくはアレックスを主人公にしたアレックス・ブラザーズの「仁義なき戦い NY版」なんてのもいいんですが(要するに青山さんの殺陣がみたいだけ)、あれは東映映画なのでちょっと難しいでしょうか。
さてロンドン版を何かと引き合いに出して申し訳ないとは思いつつも、だんだん盛り上がる東京版スーザンを見ていると、同じ物語でも仕切りによってこんなにも違うんだなあ、と改めて感じます。ブロンディも最初はパンクロックというムーヴメントのなかの1グループだったようですが、プロデューサー、マイク・チャップマンを迎えたことで全米制覇に成功しました。このチャップマン氏、オーストラリア生まれなんですが、70年代イギリスの音楽シーンをリードした存在で、73-74年にはコンビを組んでいたニッキー・シンと全英ベストヒット40のうち19曲を手掛け、チャート1位獲得曲は40曲ぐらい(クリス・スタイン談)とまさに「ヒットメーカー」。働きぶりはデボラ・ハリーが「唐辛子」と言っているくらいで
熱いタイプだったようですね。
チャップマンによってブロンディはダンスミュージックに取り組むことになるのですが、彼はビートの狂いを一切許さず、バスドラムの録音一つにも3時間ほどかけ、ギターパートも、テープ速度を調節し全てのパルスが完璧に正確になるまで何時間も粘ったそうです。今の技術でなら数時間もあればできることでも、当時はシンセサイザー1台とリズムマシーンを基に手作業で調整するしかなかったということですが、泥臭さのないあの軽やかなサウンドにはそんなプロ魂がみなぎっているんですね。クリス・スタインは「パンクロッカーたちからはイージーに流れたと批判されたけれど、ダンスナンバーを作るほうがずっと難しかった」と話しています。
ブロンディのポップな仮面の下の精密なビートを、人間リズムマシーンの青山航士さんがライブシーンで担当されたのも、チャップマンの生霊
のしわざか何かなんでしょうか