2008年02月の記事 | platea/プラテア

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青山航士さんと出演作について。『The Musical AIDA〜アイーダ〜』/ ゲキXシネ『五右衛門ロック』出演
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皇帝円舞曲とウィーンの雨/ルドルフ RUDOLF The Last Kiss
JUGEMテーマ:舞台鑑賞

 ルドルフ絶命の場所、マイヤーリンクから南東に12マイル、ウィーンの森を進むとヨハン・シュトラウスの別荘があります。J.シュトラウスの曲は、現代日本のゲームセンターでも太鼓の演奏ゲームに『トリッチトラッチポルカ』がリストアップされているほど親しまれていますが、当時の人気も凄く、フレデリック・モートン曰く「ビートルズを越える」ほどだったとか。ボスニアでは農夫も彼の髭の形をまね、ボストンではアメリカ独立100年の記念式典で2万人の大合唱を指揮をとり・・・と、マスコミが未発達な時代にも、シュトラウスは国際的アイドルだったと"A Nervous Splendor"に書かれています。
 『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』の舞台となる1888年にはフランツ・ヨーゼフの即位40年記念式典のために『皇帝円舞曲』を書き上げています。作曲家としてこれ以上はないというほどの境遇で、ペットの孔雀が歩く自宅の庭で華やかな社交も楽しんだようです。・・・が、そこは芸術家、客人が帰ると一転、深夜独りでピアノに向かい、「天命」と思える作品を創りあげるため作曲に没頭しました。"A Nervous Splendor"の幕開けとなる七月は、ウィーンでは一年で最も雨の降りやすい月ですが、シュトラウスは雨の夜を最高の創作の時間だと語っていたそうです。華やかで活力に溢れたワルツも、マイヤーリンクと同じウィーンの森で、雨の闇夜に生まれたのでしょうか。
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23:41 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |
And All That Jazz/CHICAGO
And All That Jazz
 今日は青山航士さんのお誕生日、おめでとうございます。先日、和央ようかさんが日本版『CHICAGO』のヴェルマ役としてブロードウェイの舞台上で紹介されたという記事を目にしました。青山ファンとしては去年の夏の"NEW YOKA 2007 ROCKIN' Broadway"の'And All That Jazz'を思い出さずにはいられません。氷の上を滑るようなステップが素敵でしたね〜。

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00:18 | 表現者 青山航士 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
音楽の都、ウィーン/ルドルフ RUDOLF The Last Kiss
 『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』の物語がはじまる1888年のウィーンには、独創性、斬新さにかけて、クリムトに勝るとも劣らぬ天才が音楽界にもいました。ウィーンのユダヤ人居住区に生まれ、9月で14才になるアーノルド・シェーンベルク。のちに音楽の「調」という考え方を覆し「無調音楽」を創りあげ、20世紀音楽をリードした彼ですが、家庭はけして裕福ではなく、『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』原作"A Nervous Splendor"にも、雨の降るなか、当時のウィーンのアミューズメント施設Prater Parkのカフェの外に佇み、もれ聞こえる音楽を聴くシェーンベルク少年が描かれています。
 このカフェはベートーヴェンがピアニストとして最後に聴衆の前で演奏した場所なのだそうです。19世紀末ウィーンのアミューズメントパークってどんな?と思い、いつものごとくGettyimagesを覗いてみました。1888年の写真は残念ながらありませんが、トップページの”Editorial”インデックスをクリック、開いたページの検索窓に"Prater Park, Vienna"と入力し、2ページ目を見ると少し雰囲気がつかめます。私が思っていたよりはモダンな感じがするのですが、皆さんいかがでしょうか。
 ベートーヴェンは1827年に亡くなり、1888年には遅ればせながらウィーン中央共同墓地の名誉墓碑に移すべく、亡骸の採寸のため棺が掘り出されました。"A Nervous Splendor"には、その音楽の巨人の頭蓋骨と対面するブルックナーのエピソードも盛り込まれています。やはり世界に名だたる「音楽の都」ですね。

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23:55 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |
ルドルフ RUDOLF The Last Kiss/ブルク劇場のグスタフ・クリムト
JUGEMテーマ:舞台鑑賞

 ミュージカル『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』には登場しないようですが、当時のウィーンには、ルドルフと同年代の画家グスタフ・クリムトがいました。原作"A Nervous Splendor"にはウィーンの街の描写に織り込まれるようにして、この若き日の天才画家が姿を現します。舞台の幕開けとなる1888年7月には、ドイツ語圏で最高の劇場といわれているブルク劇場の天井画を制作している最中で、この作品によって彼は世に出るのです。
 とはいっても今わたしたちが頭に思い浮かべるクリムト独特のタッチ・官能的なポーズなどは打ち合わせの段階でボツになり、彼にとって入魂の一作、というわけではないようです。例えば最初のスケッチには花のように体をくねらせた女性二人が互いに唇を合わせている箇所があるのですが、劇場サイドから即刻ストップがかかり、並んで立つポーズに変更されました。
 その後は、一目見ただけでクリムトだとわかる独自のスタイルを前面に出し、彼は「分離派」と呼ばれる新しい美術のムーヴメントの先頭にたつことになりますが、その出世作を照らしたのが、ろうそくではなく、当時最新の技術を使って建設されたブルク劇場自慢の「電灯」だったことが何か象徴的な気がします。読めば読むほど『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』の時代には、様々な変化がひしめき合うようにして起きていますが、闇と光の関係も「電灯」によって変わったことでしょう。クリムトの作品には太陽の光はそぐわない、そんな気もします。

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23:14 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |
ルドルフ RUDOLF The Last Kiss/ウィーンの森を抜けて
JUGEMテーマ:舞台鑑賞

 『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』原作"A Nervous Splendor"は、ブラットフィッシュが手綱を握る馬車でルドルフが外出するところから始まりますが、その行き先がマイヤーリンク。ウィーンの街を南下し、鉄道に乗りバーデンで下車、さらに馬車で美しいウィーンの森の中を進むと、1887年にルドルフのために造られた狩猟の館があるというわけですが、世間から隔絶されたようなこの館が、彼にとって精神を休める場所だったようです。マイヤーリンク事件の現場を訪ね、ウィーンの森の美しさを堪能する観光コースとしても人気があるようですね。
 原作では、このときルドルフは、少年時代から毛嫌いしていた同い年のプロイセンの皇太子ウィルヘルム(帝劇版では岸祐二さん)が、プロイセン(ドイツ)皇帝になり、その声明を読んだ、という設定になっています。先のプロイセン皇帝フリードリヒ3世は、在位わずか3か月で亡くなったため、息子であるウィルヘルムは29才で皇帝の座に着きました。自分が最高位に付くためには肉親の死を待たなくてはいけない、という王子たちの複雑な心理を「プリンスの悲劇」と呼ぶそうですが、犬猿の仲の皇太子が若くして皇位につく一方で、オーストリア帝国の政務から排除されている我が身をルドルフがどう思っていたかは想像に難くありません。鳥類の研究家としても評価されていたルドルフですが、ウィーンの森の美しさもこのときは慰めにはならなかったかもしれません。

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22:59 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |
ルドルフ RUDOLF The Last Kiss/ルドルフとジャーナリズム
 ルドルフが信頼を寄せていた新聞記者ツェップス。彼は『新ウィーン新聞』の記者でしたが、ルドルフも彼の依頼を受けて匿名でこの新聞に寄稿し、自分の政治的意見を述べています。スパイどころか皇太子がもらす情報、そりゃ特ダネでしょうね〜。そのうえ父帝フランツ・ヨーゼフの信頼厚い首相ターフェ(もう思い浮かべるのは岡幸二郎さんのお顔だったり)の政治を繰り返し批判したといいますから、読者も目が離せなかったでしょう。
 左派ジャーナリスト・ツェップスはユダヤ系の名家に生まれ、娘のゾフィーは、のちのフランス首相クレマンソーの兄弟の妻。クレマンソーは、第一次世界大戦終結時にドイツに対し、厳格な制裁を主張したことで知られています。ルドルフは父帝によって執務から排除されていたため、ツェップスを介してフランスをはじめとする諸国の情報を得ていたといいます。ルドルフもまた、王宮の情報をもらしていたといいますが、普通の父子の感覚ではないですね。
 が、そんな動きに王宮が気付かないわけはなく、フランツ・ヨーゼフの知るところとなります。ルドルフには24時間監視が付き、ツェップスとの交友も断たれることに。ルドルフは24才年上のツェップスに理想の父親像を見ていたとも言われていますし、父帝への感情は複雑にならざるを得なかったことでしょう。
 もしもルドルフが現代に生きていたら、さしずめブログで世界に自分の意見を発信しているでしょうか。時代を先取りするように、労働時間の短縮・児童就労の禁止・富の再分配に賛同した彼はきっと多くの人々の支持を集めたことでしょう。それとも父帝はそれもまた抑制したでしょうか。

 追記:引っ越しに伴い、両方見ていただいたりしているので水増し気味になりますが、gooとあわせて28万のアクセスいただきました。また、ブログランキングにも応援頂き、本当に有難く思っています。心から御礼申し上げます。

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23:29 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |
ルドルフ RUDOLF The Last Kiss/憂いの皇太子
JUGEMテーマ:舞台鑑賞

 オーストリア=ハンガリー帝国皇太子ルドルフの写真はネット上でもいくつか見られますが、憂いをたたえた表情のものが多いように思います。
 生まれたそのときにハプスブルク家が代々継いできた由緒ある「金羊毛騎士団」の一員となり、第19連隊大佐の地位が与えられた彼は、15才の時に「多くの貧しい民は、資産を消費する少数の者達をはっきり敵として見ている」と教育係のラトゥールに書いているそうです。フランス革命以後のプリンスは、自分の地位に酔うような感じではないのでしょう。
 『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』原作"A Nervous Splendor"にも"24才の時には、友人モーリッツ・ツェップスに、「とてつもない変化・・・社会の再構築がおきるに違いない」と書いてもいる"とありますが、この「友人」は、ハンガリー独立を支援していたジャーナリスト、帝国劇場では畠中洋さんが演じるツェップスのことですね。自分より20才以上も年上の、父親世代の記者と意見を交わす皇太子・・・ずいぶん現代的な印象を受けます。
 ルドルフの考え方は「皇太子としてあるまじきもの」と父帝にはねつけられたそうですが、今読むと未来を言い当てていることになります。彼の考えは現在のEUに通じるものがあるとも言われ、そんな賢明なプリンスがどうして若い命を絶ったのか・・・と改めてこの物語に引き込まれずにはいられません。ヨーロッパには根強い「マイヤーリンク」マニアが存在するそうですが、かぶれやすい私も、にわかオタク状態です聞き耳を立てる
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00:05 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |
ルドルフ RUDOLF The Last Kiss/たった一人のオーストリア人
JUGEMテーマ:舞台鑑賞

 岡幸二郎さんのブログでターフェ首相の衣装を着けた写真がアップされていました。この作品のキーパーソンとなりそうな意味深な雰囲気がありますね〜。以前、ターフェが公用語にチェコ語を採用する言語令を出したことに関して書きましたが、『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』原作"A Nervous Splendor"に、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の「ことば」がどんな風だったかを伺わせてくれる件がありました。
 1300万人がドイツ語、1000万人がハンガリー語、500万人がチェコ語、300万人がスロヴァキア語、そして何百万人かがその他のスラヴ系またはアラブ系の言語を話していたそうです。日本からは少し想像しにくい「国家」の感覚ですね。この割合でいくと1000万人が話すハンガリー語を飛ばしてチェコ語を公用語にしたターフェの政策はかなり大胆なものだったということになります。
 そしてその様々の民族のなかで、たったひとり真の「オーストリア人」だったのがフランツ・ヨーゼフである、とモートンは語ります。この巨大な帝国が、「オーストリア語」というものもなく、一人の生身の人間によってのみ繋がっていた、と想うと歴史の不思議さを感じずにはいられません。ターフェはそんなアンバランスさを自分に引き寄せたことになりますが、そのあたりから、帝国のあやうい均衡が崩れていったのでしょうか。
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23:50 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |
ルドルフ RUDOLF The Last Kiss/皇太子ルドルフ、そして・・・
舞台鑑賞
 王宮から出てきたブラットフィッシュが手綱を握る馬車には、月が変われば30才になる物憂げな表情の皇太子ルドルフが乗っています。そして「神の恵みによって・・・になるべく生まれた」とフレデリック・モートンは綴りますが、この「・・・」の部分が恐ろしく長いですあせあせ。オーストリア皇帝、ハンガリー王、イェルサレム王、ボヘミア王、ダルマツィア王、トランシルヴァニア王、クロアチア・スロヴェニア王、ガリツィア・イリリア王、トスカーノ大公爵、クラコフ大公爵、モラヴィア辺境伯、ザルツブルク公爵、ブコヴィナ公爵、モデナ・パルマ・ピアチェンツァ・グアスタラ公爵、ハプスブルク・チロル皇太伯、トゥリエント・ブリクセン領主、ホーヘンネンブス伯、セルビアVoyvode(この位は日本語でなんて訳されているのか不明)、そして他に30の肩書きがあるとか。「・・・これらすべての領地が馬車の中の痩躯(ルドルフ)に用意されているのだ。」
 ときどき名刺に所狭しと肩書きを列挙している方がいますが、これじゃ両面印刷しても追いつきませんね。「彼の未来の民は、共通の言語、宗教、土地、伝統のいずれかによって一つに統合されたのではない。彼らはただひとつ、彼の名前のみを分け合うのだ。」うう〜ん、統治するのはいかにも大変そうです〜。二つの国だけでも戦争が起きるのに、いくつもの民族がひしめきあって暮らしているのですから、いくらフランツ・ヨーゼフが朝から晩まで働いても仕事は減らなかったことでしょう。そのたくさんの肩書きのなかには「アウシュヴィッツ公爵」も含まれ、モートンは最後に挙げているのですが、ユダヤ系アメリカ人である彼の「もしもルドルフが即位していたら」という思いが伺えます。ただ、これほどの肩書きを背負って、「人間らしく」生きるなんて到底無理なのではないかとも思えますね。hildaさんに頂いたコメントにもありましたが、王子たちの苦悩・不安も底知れないものがあるようです。
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23:54 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |
ルドルフ RUDOLF The Last Kiss/物語のはじめに
 昔むかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでおりました・・・と始まって、桃が流れてきたり、竹が光ってたりするわけですが、物語の始めに出てくる登場人物って、物語の終わりも見つめているような気がします。桃太郎が鬼退治に成功して帰るのを迎えるのも、かぐや姫が月に帰ってしまうのを見送るのも最初に出てきたおじいさんとおばあさん。
 『ルドルフ RUDOLF The Last Kiss』原作"A Nervous Splendor"で最初に出てくるのは誰かというと、ルドルフの御者ブラットフィッシュです。前の記事で書いた、王宮から市街へと出てきた馬車は、ブラットフィッシュが手綱を握っているのです。「・・・そして彼はひづめのダンスとゴムを引いた車輪の軋む音にあわせて、口笛を吹いていた。」ちなみに英ロイヤルバレエの"Mayerling"のDVDでも冒頭と終末には、ひっそりと葬られるマリー・ヴェッツェラを見守るブラットフィッシュの姿があります。
 物語中では、ブラットフィッシュは今はリンク通りとして生まれ変わった、かつてウィーンという街を抱いていた中世の城壁に関した歌を口笛で吹いたと続きます。ルドルフの誕生と前後して竣工されたこの道路が、ウィーンを古めかしく重々しい城壁のない、最新型の開放的な都市に再生したことがうかがえますね。一方で1885年には既にドイツのベンツ社がガソリンで走る自動車を製造していますが、フランツ・ヨーゼフは自動車嫌いで、生涯一度も乗らなかったといわれています。そう思うと当時のウィーンは、馬車の行き交う、いかにも歴史あるヨーロッパ的なたたずまいと、新しい世界とが交錯する街だったのかもしれません。あの美しい街と誰が、物語の終末を見届けるのでしょうか。
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21:57 | ルドルフ RUDOLF The Last Kiss | comments(0) | trackbacks(0)| - |