さて今日は『ミー&マイガール』の作曲家ノエル・ゲイのことを見てみました。この人はいろいろな情報が残されていて安心〜。
1898年イギリスのヨークシャー州生まれ、1954年に亡くなっていますが、息子さんがNoel Gay Artistsという芸能事務所を開いていて、今も作品の著作権管理をしているようです。本名はReginald Moxon Armitage、ロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックとケンブリッジで学んだ彼は、在学中からミュージカルに興味を覚え、ポピュラーソングも書くようになりました。が、ロンドンの聖アン教会の音楽監督とオルガン奏者でもあった彼は、教会関係者に迷惑がかからないように、ペンネームNoel Gayを使って作品を発表したそうです。アンドリュー・ロイド・ウェバー卿と彼だけがウエストエンドで4作品同時上演の記録を持っているとのこと、20世紀イギリスのポピュラー音楽を代表する存在ですね。
また、『ミー&マイガール』のショーストッパー「ランベス・ウォーク」は、タイムズ紙の見出し記事の題材となった唯一のポピュラーソングでもあるそうです。1938年10月の記事で、「独裁者が叫び、政治家が閣議をしているあいだに、ヨーロッパ中が踊っている−ランベスウォークに合わせて」と書かれ、当時の熱狂ぶりが伝わりますね。
平和が一日一日侵されていくような時代、ノエル・ゲイはミュージカル・コメディやレビューのために曲を書き続けました。1939年9月、ドイツとの開戦宣言の二日前にBBCテレビは放映を休止、11月には彼が曲を提供していたBand Waggonというラジオ番組も終了します。これは明日を夢見る芸人コンビがお化け屋敷に潜り込んで・・・という設定でしたが、その亡霊たちはナチスを暗示し、彼らの地下室のテレビはベルリンにつながっている・・・という具合だったそうです。今もブロードウェイを沸かせている、BBC製作番組を原作とした『モンティパイソン』に通じるブラックジョークを感じますね〜。そして何より、歴史の荒波の中でも人を楽しませ、自分たちのやり方で批判もする、表現者のたくましさを感じます。そんな時代が生んだ「ランベス・ウォーク」、別格のショーストッパーといえそうです。