さて、チケットの一般発売も始って、「いよいよ」感のある『ミー&マイガール』。作詞&脚本を担当したうちの一人、ダグラス・ファーバーは1885年、19世紀生まれの人ですね、『ルドルフ』のマイヤーリンク事件は1889年ですから、当時4才とはいえ悲劇のプリンスと同時代を生きていたと思うと、なんか歴史を感じます。デビューは1914年、オーストラリア人の作曲家A.エメット・スミスと組んだ「聖マリーの鐘」で、アメリカで大ヒットしたそうです。この曲は「ホワイト・クリスマス」で有名なビング・クロスビーが45年に持ち歌にし、同名の映画も作られています。
また、1920年代にも彼の手がけたレビューとコメディが2作品ずつ、ブロードウェイで上演されていますので、『ミー&マイガール』は、アメリカで若いうちに成功をつかんだ彼が本国に錦を飾ったという感じなのでしょうか。
戦後の活動としては、『ミー&マイガール』が全編テレビ放映された初のミュージカル作品ということもあってか、テレビ作品が数点記録されているようですが、ミュージカル関連の記録が見つからないので、ご存知の方いらしたら教えてください〜。
そして1987年には初演から実に50年を経てトニー賞の最優秀ミュージカル脚本、最優秀オリジナルスコアの2部門にノミネートされ、ドラマデスク賞の最優秀脚本賞を受賞しますが、ご本人は61年に他界されていました。二つの大戦という大惨事を目撃しながら、時代が大きく変わっても人々の心をときめかせる作品を書くのは、相当の精神力と意思を必要とするような気がします。当時生きておられたら102才、死後四半世紀たっても祝福される作品を残すって、ものを作る人のひとつの理想かもしれませんね。