サーファーズ・パラダイス/ボーイフロムオズ | platea/プラテア

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青山航士さんと出演作について。『The Musical AIDA〜アイーダ〜』/ ゲキXシネ『五右衛門ロック』出演
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サーファーズ・パラダイス/ボーイフロムオズ
1988年、ミュージカル"Legs Diamond"がクローズされた後、ピーターは再びライブステージに戻り、全米ツアーを開始します。ミュージカルの失敗を払拭するような盛況ぶりで、とくにデトロイトとシカゴでは大規模なコンサートが開かれたようですね。そして90年には、凱旋公演とでも言うべきカーネギーホールでのコンサートを成功させ、相変わらずのエンターティナーぶりを観客に見せてくれたそうです。が、92年になると、ピーターがエイズに起因するカポシ肉腫に侵されていることは、見た目にもわかったといいます。
 どれほど体力を消耗し、どれほどの精神力で自分を支えたのかは想像もつきませんが、彼はその92年には人生最後のオーストラリア公演を行います。そして、パフォーマーとしての第一歩を踏み出したオーストラリア東海岸の街、サーファーズ・パラダイスで予定を延長してバカンスを過ごした彼は、母と姉妹を残して、放射線治療のためにアメリカへ戻りました。そのとき彼に付き添ったのが、別れて20年になろうという元妻のライザ・ミネリだったそうです。
 その35年ほど前、青い海と白い砂浜が広がるリゾート、サーファーズ・パラダイスのイベントで、大きなクリケット・シューズをはいてステージに上がったピーター。父親がこの世を去った町Armidaleから転居したばかりの、まだ中学生でした。彼はその頃から本名の「ウールノー」を捨ててピーター・「アレン」と名乗り始めたのです。
 もしもクリス・ベルに会わなかったら、もしもジュディ・ガーランドに出会わなかったら、もしも・・・と言い出すとキリがありませんね。でも、誰に教えられることもなく一人でピアノを弾きこなした7才の男の子と、その彼を愛し育てた母親が存在したという事実は、どんな「もしも」にも打ち消されることなく、彼の内から湧き出る音楽をこの世に鳴り響かせたに違いありません。
 「ピーター・アレン」が生まれたこのサーファーズ・パラダイスが、ピーターが最後に滞在したオーストラリアの街になりました。死期を悟っていたであろう彼の想いに、ライザ・ミネリが寄り添っていたことが、一観客にとっては大きな慰めに感じられます。
00:13 | ボーイ・フロム・オズ | comments(0) | trackbacks(0)| - |
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