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青山航士さんと出演作について。『The Musical AIDA〜アイーダ〜』/ ゲキXシネ『五右衛門ロック』出演
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マーシー・ホスピタルからの電話/ボーイフロムオズ
 以前、ピーター・アレンが息を引き取ったマーシー・ホスピタルについて書きましたが、ピーターは亡くなった日にも、姉妹のリン・スミスに電話をかけてきたそうです。彼女に電話インタビューをしたニューヨークタイムズ2003年10月5日の記事です。興味のある方は検索してみてください。
 エネルギッシュなステージを創り上げる根っからのエンターティナーである彼は、オーストラリアの母親にも姉妹にもエイズに感染したことを告げなかったそうです。彼女たちとはずっとコンタクトを取り続けていたのですが、「彼は一家の父親のようだった」とも語っていることを思うと、心配させまいとしたのかもしれません。92年当時はエイズ研究がまだ治療の成果につながっておらず、感染経路についても誤った情報が錯綜していたので、エイズをめぐる不安の大きさは、今からは想像もつかないほどだったと思います。
 家族の皆を愛している、と告げるために電話をしてきたと回想する彼女に、そのときの会話で何かほかの事を覚えていますか、と質問したところ、彼女は少し声を震わせて「絶望」と答えたそうです。
 ピーター・アレンというエンターティナーに対して、あまり使われたことがないであろうこの言葉を改めるため、(ライター氏いわく『ボーイフロムオズ』の内容に矛盾しないように)リン・スミスは数日後電話をかけてきた、と記事は続きます。そして話したのは、次のような内容だったそうです。「彼は混乱と拒絶の塊のようになっていたわけではありません。彼は人生を愛した幸せな人でした。そう付け加えていただけますか。賑やかでおもしろくって、いつも陽気だったんです。複雑で、否定的な人間ではありませんでした。」
 『ボーイフロムオズ』BW版の劇評で、ドラマとしての深度がたりない、ということに言及するものをいくつか見たことがあります。確かに「病」や「死」を語りつくすような台詞や場面はなく、父親の自殺もある夜の悪夢のような演出です。とくにアメリカのメディアがピーター・アレンという人を語るとき、こうした言葉は居心地が悪そうに浮遊するような感じがあります。ひたすらパワフルで華やかなショーマンであることが期待され、また本人もそう望んでいたとは思いますが、死が近づけば誰だって絶望するのに、と思ってしまいますね。そんなことも記事になるほど、ピーターの残した音楽や映像は生命力にあふれて心地よいということでしょうか。
 人生最後の日にも、家族のみんなを愛している、と告げるためにオーストラリアへ電話をかけたピーターは、観客にはどんな自分を記憶してもらいたかったでしょう。やはりそれは、決して幸福とはいえない少年時代に母親マリオンに与えられ、のちに彼をブロードウェイを彩るスターに導いたピアノを弾いて、のびやかに歌う姿ではないかと思います。それは一人の人間としての彼の居場所を狭めたかもしれませんが、癒しようのない彼の傷も押さえ込んだような気がします。そして家族からも遠く離れ、ウールノーという名前を捨てたまま異国の地で息を引き取った彼が、一人の人間として最後に口にした「絶望」を受け止め包みこむことができるのは、彼の残した歌へささげる、観客一人一人の心からの拍手なのかもしれません。
23:58 | ボーイ・フロム・オズ | comments(0) | trackbacks(0)| - |
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