『五右衛門ロック』随一の熱血漢・岩倉左門字役の江口洋介さんが主演しておられる映画『闇の子供たち』を見てきました。日本の新聞社が得た「日本人の子供の心臓移植のため、臓器提供者としてタイの子供が売買される」という情報を追うタイ在住の記者が江口さんの役どころです。
3、4万円で親に売られ、8歳で日本を含む先進国からの客を取らされ、病気になればゴミ袋に入れて生きたまま捨てられる、あるいは心臓移植という多額の金銭が動くビジネスのなかで、ドナーになるとも知らずに生きたまま心臓を摘出される子供たち。梁石日(ヤン・ソギル)さんの同名の原作には、事実として捉えるにはあまりにも惨い、でもフィクションには持ち得ない凄絶な重みのある数々のエピソードが綴られています。
子供たちは収入を得るわけではなく、閉じ込められ商品として生きるだけで、それは「売買」とすら呼べない気がしました。大人が欲望のままに寄ってたかって幼い子供の自由を奪い、未来を奪い、生きるものとしての尊厳を奪い、果ては命までも奪って利益を得る。売買以前に、この世で最も尊重されるべきものを「盗む」ことから始まっているのです。それに関わる大人の醜悪さ、欲深さと共に、阪本順治監督は、海を隔てた文化の違う国の出来事のように思えても(思いたくても)、需要がなければこんなビジネスは成立しない、そしてその需要のほとんどは先進国の人間が経済格差に乗じて作り出しているという構造を克明に描き出します。
『五右衛門ロック』の舞台を大きく盛り上がらせている川平慈英さんと右近健一さんのスペイン商人コンビ。武器を売る死の商人と自覚はしているようですが、当時の先進国スペインの植民地主義的な野望にも加担していて、地獄の使いのような存在です。そして彼らも子供の手を罪で汚して益を得ようとしますね。物語中、人を自在に操る術まで手に入れようとして、罪の深さで言えば五右衛門も遠く及ばない彼らは、釜茹での刑に処されるどころか、母国に帰れば出世しそうな勢いです。そんな理不尽な、と思うと同時に、先進国と呼ばれる国は、彼らと同質の行いをその歴史の中に内包していると気付かされます。
江口さん演じる記者・南部浩行は、罪を知り人間の尊厳に膝まづくかのように、原作とは違うラストを迎えます。そうした形でしか、彼の物語は終わる事が出来なかったことに人間の内面世界の複雑さを思い知りました。この映画を見る前は、『闇の子供たち』から『五右衛門ロック』へと、まったくタイプの違う作品に出演されたんだな、と思っていましたが、両方を見終えた今では、『五右衛門ロック』での江口さんは、滑稽なほどに真っ直ぐな左門字という人間をどこか慈しんで演じておられたようにも思えます。
何不自由なく豊かに暮らしてもなお、最も尊いものをも奪おうとする、この世に渦巻く果てしない欲望を思うと、石川五右衛門の「世に盗人の種は尽きまじ」という辞世の句が今もこの世界を、『闇の子供たち』を生む歪みをも見据えているような気がしてなりません。